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鹿児島大学シリコンバレーオフィス

2006年12月 9日

鹿児島大学一行、サリナス視察

昨日に引き続き、永田学長をはじめ 鹿児島大学のご一行がシリコンバレー近辺を視察するということで 同行させていただいた。

午前中は、東北大学の米国事務所を訪問させていただき 意見交換をさせていただいた。 話された内容は多岐に渡ったが、 例えば、今、東北大学が力をいれておられるのが 卒業生からの協力を得る仕組み作りだそうだ。 確かに、アメリカの大学は 卒業生からの支援が活発である。

午後は、前回の 鹿児島大学シリコンバレーツアーでも 訪問させていただいたサリナス(Salinas)の 内田 慶四郎 さんの農場を見学に伺った。 たくさんのお話をしていただき、 帰りには雨の中にも関わらず、 サリナス中心部の 日系人墓地や アメリカ人墓地に飾ってある戦車 等についてもご案内いただいた。

ここでよい機会なので、内田 慶四郎 さんから教えていただいた サリナスのアメリカ人墓地に置いてある この戦車についての 謂われ を簡単に書いてみる。

サリナスは、第二次世界大戦以前より大規模な農業が盛んであった。 そのため、サリナスの農家の方々は皆、トラクター操作の名人であった。 第二次世界大戦が始まり、アメリカでも兵隊が足りなくなったので、 サリナスから人を招集し部隊を編成した。 そのほとんどは農民であった。 トラクター操作に長けていたサリナスの農民は、 戦車もトラクターと操作方法が似ているという理由から 戦車部隊としてフィリピンへと向かった。

そこでサリナスの農民らは日本軍と戦うことになったのだが その戦線では日本軍が勝利し、米軍が全滅してしまった。 ということはつまり、サリナスには 日本軍により身内を 殺された遺族が多数いる、というわけである。 そのため、戦後、サリナスでは非常に強い排日運動が起こった。

サリナスでは、戦後間もなく、日本人への憎しみを忘れないために、 わざわざフィリピンから 戦場に残されていた米軍戦車を持ってきて 街の中心部の公園に据えていた。 そして、その戦車の主砲は日本人居住地域に向けられていたそうである。

戦後のサリナスへの日系移民の方々は、 この様な排日運動の中で生きてこられた。 戦後30年が経ち、日系人の働きぶりや人柄が 他のサリナス市民に認められ、 その戦車はサリナス中央の公園からアメリカ人墓地に移されたそうである。

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2006年12月 8日

第32回JBCフォーラム「バイオ1分間スピーチ大会」(20061208)

今回のJBCフォーラムは いわゆる「忘年会」。 またこの日は、たまたま鹿児島大学から永田学長や矢野副学長らの ご一行がシリコンバレーに来られていたので、 ちょうどよい機会ということで、このJBCのフォーラムにお連れした。

「バイオ1分間スピーチ大会」と銘打っているとおり、 参加者全員が必ず 1分間スピーチ を行わなければならない。 その際、条件がひとつだけあって、スピーチの中に「バイオ」という言葉が少なくとも一回出てくること。

鹿児島大学一行は その前の訪問先JSPSからの移動に時間がかかり、 JBC会場への到着が遅れてしまったのだが、 到着するとそれぞれに番号札を渡された。 この番号札を「くじ」として、当たった人から 1分間スピーチ を行っていくらしかった。 それから、スピーチを 50秒以上1分以内に収めると、 黒木瞳のカレンダーがもらえるとのことであった。

この日は参加者が多く、一人1分といえども、 スピーチだけで たいへんな時間がかかった。 もちろん、その中には永田学長をはじめ鹿児島大学一行全員むくまれていたのだが。 ともかく、鹿児島大学一行とJBCに参加の方々と交流がもてたのが何よりであった。

私も自己紹介させていただいたわけだが、 たまたま、私のスピーチ時間が うまく1分以内に収まったので、 お蔭様で黒木瞳のカレンダーをいただいてしまった。

これには実はコツがある。 スピーチをしながら、 ストップウォッチを持っている鶴下さんの顔を見ていると その雰囲気から残り何秒というのが判ってしまうのである。 おっと、この秘密をこのブログでバラしてしまうと、 来年から鶴下さんが覆面をするようになってしまうかもしれない。 それはチョット困ってしまうな。

カテゴリー: JBC/LSJ , 鹿児島大学シリコンバレーオフィス     22:30 | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年8月30日

SF領事館への「日米未来フォーラム」ご後援依頼

鹿児島大学が 第1回 「日米未来フォーラム」を開催するにあたり、 在サンフランシスコ日本国総領事館 にご後援いただけるように ご挨拶ならびに今回のフォーラムの趣旨説明に伺った。

今度の第3回鹿児島大学シリコンバレーツアーの最終日にあたる 9月15日に 鹿児島大学シリコンバレーオフィス主催で 第1回 「日米未来フォーラム」を開催することが決まった。 今回のフォーラムでは、 鹿児島からの米国移住50周年を記念して 鹿児島からの移民の先輩方にお集まりいただき、 日本の次の時代を担う世代のために、 そして日本とアメリカの新しい関係を考え行動することを目的として 議論するパネル・ディスカッションを企画している。 並びに、シリコンバレーツアーを終えた学生諸君から、 今回のツアーで 何を体験し、何を学び、何を感じたか、 について発表してもらうという目的もある。

この「日米未来フォーラム」を開催するにあたり、 在サンフランシスコ日本国総領事館に ご後援いただけるように お願いしていたのだが、 山中総領事の方からフォーラムについて 直々に説明を受けたいということだったので この日、井手所長と領事館をご訪問させていいただいた次第だ。

総領事室にて山中総領事に この日米未来フォーラムを開催するに至った経緯や 趣旨や目的をご説明させていただき、 領事館としてご後援いただくことに関して快くお引き受けいただいた。 しかし、山中総領事のフォーラムへのご出席に関しては 総領事のスケジュールが微妙なので、 ご出席いただけるかどうかは後日、ご連絡いただくこととなった。

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2006年7月25日

内田慶四郎氏の農場見学

急遽、サリナス(Salinas)にある 内田慶四郎氏の農場 を見学させていただくことになった。 慶四郎 氏とは、 「戦後移民の父」と呼ばれていた内田善一郎氏の弟さんにあたる方である。

サリナス(Salinas)はシリコンバレーから車で約1時間半ほど 南に下ったとろころ。 カリフォルニア内でも有数の農業地域であるが、特に花の栽培が盛んな地域。 お話しによると、お花産業において、全盛期には サリナスが全米の80%、 そのうち、日本からの移民一世が90%を占め、 さらにその内の90%を鹿児島からの移民一世が占めていた ということであった。 当時お花は、作れば作っただけ売れていったそうで、 いわゆる「飛ぶように売れて」いったそうである。 しかし、今日では、南米からの安いお花が市場に入ってきており、 最盛期にサリナスに62件あったお花農場も、 今では7件になってしまったそうである。

慶四郎氏の農場はサリナス(Salinas)の中心部から もう少し南に下ったところであった。 到着すると、まず農園内をご案内いただいた。 予想していたことではあるが、ともかく広い。 グリーン・ハウスと呼ばれる広い温室や、 出荷用のパッキング工場、生花を保存させておく冷凍室など 広大な設備が整っている。 グリーン・ハウス内を歩いてみると、 カーネーション等のさまざまなお花はもちろん、 最近は、お花以外にもいろいろな作物を栽培されておられる。

農場をご案内いただいた後、園内にあるお屋敷にて 慶四郎氏と奥様からいろいろなお話をうかがった。 鹿児島からアメリカへの移住の経緯、 移住直後のご苦労の様子。 現在のご家族のこと、 郷土鹿児島からはもちろん、日本全国から 農業実習生を受け入れていること、等 話題は尽きなかった。

この9月に開催予定の「第3回 鹿児島大学シリコンバレー研修ツアー」でも ご訪問させていただく予定としている。 この内田慶四郎氏の農場を見学することは、 鹿児島から来る若い学生の皆さんにも きっとよい経験となるであろう。

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2006年7月24日

町村家 と 内田家 の関係は?

先日のブログで、 町村 前外務大臣の 町村家 と 内田善一郎氏の内田家では 古くからの交流があったそうだ、 と書いた。 さて、その経緯とは。

町村信孝 前外務大臣は北海道第五区を基板とされている。 信孝氏の父親は、 「町村金五 氏」。 町村金五 氏は、 北海道知事を3期、衆議院議員、第2次田中内閣では自治大臣も務められた 政治家である。 そして、町村金五 氏の父親、つまり、町村信孝氏の祖父は、 「町村金弥 氏」。 町村金弥 氏は 札幌農学校(現北海道大学)で初代教頭を務めた 「Boys Be Ambitious (青年よ、大志をいだけ)」で有名は クラーク博士 の教えを受けている。 その後、北海道・東北各地での農業振興に尽力し、 北海道で近代的な農場を開いたそうである。

一方、昨日のブログ 『 なぜ 内田善一郎氏が「戦後移民の父」と呼ばれているのか 』で、 内田善一郎氏は、新しい農業研究のため、日本各地に研修に行った、と書いたが、 実は、町村金弥氏が北海道に開いた農場にも 善一郎氏は鹿児島から研修に行っているのである。 町村家 と 内田家 との関係は、その時以来、数十年に渡って、 今までずっと続いてきているそうである。

日本から遠く離れたアメリカの地で、こういう話を聞くと、 なんとも感慨深いものである。 そして、歴史の不思議さを思い知らされることになる。

【参考リンク】

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2006年7月23日

なぜ 内田善一郎氏が「戦後移民の父」と呼ばれているのか

昨日のブログで内田善一郎氏がお亡くなりになられたことを書いた。 今日のブログでは、 内田善一郎氏が なぜ「戦後移民の父」と呼ばれているのか、ということについて、 正確ではないと思うが、私の理解している範囲で書かせていただく。

戦争直後、内田善一郎氏は20歳代の若さで 鹿児島県串木野市の市議会議員を務めておられた。 善一郎氏は戦後の混乱で貧しさに苦しんでいた郷土鹿児島の 農業の立て直しを図るため、新しい農業について研究されておられた。 そのため、日本中の先進的な農場・農園 等を視察・研修されていた。 最終的には アメリカへの農場研修へも参加することになった。 そこでアメリカの先進的な農業を目の当たりにしてきた善一郎氏は、 鹿児島の農家はアメリカへ移民し、アメリカの先進的な農業を学ぶべきである、 という結論に達した。

しかし第二次大戦後、敗戦国であった日本からは アメリカへ移住することが出来なくなっていた。 そこで善一郎氏は奔走し 日本政府、アメリカ政府に何度も何度も掛け合って、 アメリカへの移民受け入れを了解させることに成功した。 そして鹿児島からアメリカへの350人の移民団を結成し 善一郎氏みずからもその団長として、アメリカへ移住されたのである。

鹿児島から急にアメリカへ移住された350名の方々のご苦労は 並々ならぬものであった。 もちろん、沢山の問題も起こったが、 日夜奔走してそれらの問題を解決していったのも善一郎氏であった。 こうして、鹿児島からの移民の方々の努力の末、 例えば、モーガン・ヒル(Morgan Hill)、ギルロイ(Gilroy)、サリナス(Salinas)等に 広大なお花畑を開拓されたのであった。

このような経緯により、鹿児島からの移民の方々は、 内田善一郎氏を「戦後移民の父」として慕い、 そして善一郎氏への感謝の気持ちを忘れない。

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2006年7月22日

「戦後移民の父」内田善一郎氏 ご逝去

私も 先日 お聞きしたのだが、 「戦後移民の父」と呼ばれた内田善一郎氏が この5月にお亡くなりになられたそうである。

昨日のブログのとおり、内田善一郎氏のお宅へ 町村 前外務大臣 が お越しになったが、その理由は、 内田善一郎氏への墓前へのご挨拶であったそうだ。 話しによると、町村家と内田家では 古くからの交流があったそうである。

また内田善一郎氏には日本国政府より旭日双光章が授与されたそうで、 長男の誠一郎氏に勲章、勲記が 山中誠総領事から 手渡されたそうである。 その様子については、 在サンフランシスコ総領事館イベント記録「故内田善一郎氏ご遺族に対する叙勲伝達式」 に フォト・ギャラリー付で紹介されている。

私としては、内田善一郎氏の生前に 直接お話しする機会が持てなかったことが 非常に残念であった。

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2006年7月21日

町村 信孝 前外務大臣と会う

急遽、 町村 信孝 前外務大臣 とお会いしてきた。 町村 衆議院議員といえば、文部科学大臣、外務大臣、自由民主党総務局長 など 政府や自民党の重要なポストを歴任されてこられている 日本を代表する超有名大物代議士であられる。 それがまた何故、私なんぞが、急遽、町村先生のような 立派な方にお目にかかれることになったのか。 今日のブログはそのことについて。

今朝、目がさめた時点では、それこそ夢にもみてなかったのだが、 午前中に電話が一本掛かってきた。 今年1月のブログ「 鹿児島県北米移住者協会50周年記念式典 」で 書かせていただいた 米国への移住者の間では「戦後移民の父」と呼ばれていた 内田善一郎さん の 息子さん。現在、移住者協会会長を務めておられる 内田誠一郎さんからであった。

電話口のお話しでは、本日、町村 前外務大臣 が内田誠一郎さん宅にお越しになり、 鹿児島県移住者協会関係者も多数お集まりになるので、 私も是非お越しください、ということであった。 そこで私は急遽、車をギルロイ(Gilroy)まで飛ばしていった。

内田誠一郎さん宅に到着すると、すぐに 町村 前外務大臣 にご紹介いただきた。 お名刺を交換させていただき、 そのまま、3分ぐらい直々にお話をさせていただいた。 こんなことって、一生のうちでも、一度あるかどうかであろう。 私の方からは、鹿児島大学のシリコンバレーオフィスについてや、 その活動のひとつとして学生の研修ツアーを行っていること、 また、現在シリコンバレーで行われている大学間連絡会の 日頃の活動の様子についてご報告させていただいた。

町村先生は、文部科学大臣 と 外務大臣 の両方を 歴任されておられる。ということは、 この教育の国際化、日本の大学の国際進出という点について、 最も見識が広く、また、我々の活動を ご理解いただくのに最も適した政治家であると言えると思う。

いろいろお話させていただくと、町村 前外務大臣は 全くえらぶったところがなく、非常に親しみを感じられた。 ホントに立派な方というのは、こういうものなのであろう。 その後も、町村 前外務大臣を囲んだ昼食会に私も加えていただき、 沢山のお話を伺うことができた。 また、帰りがけには、町村 前外務大臣ご夫婦と一緒に 記念写真を撮っていただき、ちょっとミーハーしてしまった。 非常に有意義な一日であった。 や〜っ、朝起きた時は、こんな一日になるとは思ってもおらず、 自分でも正直 驚いている。

【参考リンク】

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2006年2月14日

SGI(Silicon Graphics, Inc.) 訪問

この日、鹿児島大学スタッフとシリコン・グラフィックス・インク(SGI)本社を訪問させていただいた。

昨年10月に行われた「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」では SGI(Silicon Graphics, Inc.) の CEOである Robert R. Bishop 氏より 祝辞をいただいた。 そのときのお礼を兼ねて今回 SGI を訪問させていただき、 Bishop 氏と直接お話させていただいた。 いくらシリコンバレーに長く住んでいても このようなチャンスはなかない機会である。

Bishop 氏は我々のオープニング・セレモニーで 「 起業するには自らリスクをとってゆく精神が必要であるが、 鹿児島は、桜島という活火山を目の前に有し、 すでにリスクに向かい合って行く精神を持っている。 」 というようなことを述べられ、 この祝辞については我々の間でも、 後々まで話題となっていた。 この日も大変わかりやすい英語で語りかけていただき、 今後の協力関係についても議論させていただいた。

帰りがけに、デモルームでデモを見せていただいたが、 これはスゴかった。 デモ・ルームは巨大スクリーンが半円形になった シアタースタイルになっていて、 そこでフライトシュミレーションの実演や、 衛星写真から写真が写しだされた。 これは、言葉では言い表せないが、「さすがSGI」というほかはない。 これらのデモは一見の価値がある。

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2006年2月13日

UCB 訪問カリフォルニア大学バークレー校 訪問

この日、鹿児島大学スタッフと、 UCB(University of California, Berkeley) カリフォルニア大学バークレー校を訪問した。

今までも、個人的には UCB の 近くまで何度か来たことはあったが、 こうやってキャンパス内をゆっくり歩いたのは初めてであった。 工学部の内部を見たからかもしれないが、 印象としてはスタンフォードのような派手さはないが、 堅実な雰囲気を感じた。

ちなみに、UNIX 系OSで FreeBSD とか OpenBSD とか言ってる BSD は 「Berkeley Software Distribution」のことであり、 オリジナルがここカリフォルニア大学バークレー校で開発された ことを意味している。 BSDの愛好家としては、ご本家に巡礼させていただいた、 という意識が湧いてくる。 UCBの後は、目の前にある 日本学術振興会 に表敬訪問させていただたい。

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2006年2月12日

RIDGE

「RIDGE」とは、英語で「山の背, 尾根」という意味であるが、 ここでいう RIDGE とは 有名なワイナリー。

ワインとかに疎い私は全然知らなかったのだが、 この「RIDGE 」は結構有名なワイナリーらしい。 しかも、我が家からすぐ近く。 多分、直線距離にして10Km ぐらいの距離だと思う。 但し、そこに辿り着くまでには、車でも30分は有にかかる。 険しい細い山道を登っていかねばならない、 文字通り、山の背にあるのである。

このワイナリーにある最も高い丘からは シリコンバレーが一望できる。 以前のエントリー「シリコンバレー 一望の丘」でご紹介した「Fremont Older」より はるかに標高が高い。

この「RIDGE」は週末にしかショップを開店していない。 今日は日曜ということで、 鹿児島大学のスタッフ数名と初めてやってきてみた。 ここでは無料のテイスティングができるらしく、 私も少しだけ味見をさせていただいた。

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2006年2月11日

鹿児島大学ご一行様の来硅

昨日から、鹿児島大学のスタッフがここシリコンバレーに来ている。

そのため、昨日、今日、と会議が続いている。 内容は、今年度の反省と 今後の鹿児島大学VBLシリコンバレーオフィスの 活動方針について。

何と言っても今年度の最大のイベントは、 昨年10月に行われた「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」であった。 これに関しては、 各方面からもお褒めのお言葉を頂いており、 関係者の一員としては嬉しい限りであると同時に、 周囲の沢山の方々からのご協力により達成できたことに 感謝の気持ちで一杯である。

来年度からは、 今年度のようなハデなイベントを開催することはなくなり、 本来あるべき地道な活動を続けて行くことになりそうである。

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2006年1月28日

鹿児島県北米移住者協会50周年記念式典

鹿児島県北米移住者協会、移民50周年記念大会が、 モントレーのハイアットホテルで盛大に行われた。 私も鹿児島大学シリコンバレーオフィスのスタッフということで、 光栄にもこのパーティーにゲストとしてご招待いただいた。

この式典には、北部カリフォルニアの鹿児島県人会員はもちろん、 ロサンジェルス等のカリフォルニア南部の 鹿児島県人会の方々も一堂に会し、 総勢300人の方々がお集まりになった。

移住者の間では「難民移民の父」と呼ばれている 内田善一郎さんも ご病気のため車椅子で会場入りされたが、 スピーチの際には、ご起立され、 移住50周年を迎えたメッセージを 同じ苦労を共にしてきた同胞の方々と、 その方々の子孫にあたる2世・3世の若者へ伝えられた。

実際に50年前に移住してこられた、 いわゆる1世の方々は、シリコンバレーから少し南に位置する カリフォルニア州サリナスを中心とした地域で花産業を起された。 移住当初は、お金もなく、もちろん言葉も分からなかった状況から、 がむしゃらに働き続けてきた結果、 全米一のカーネーション産地となるほどの成功をおさめられた。 その先輩方の苦労を思いはかるに、 同じ鹿児島からの移民として、 50年前の花産業に代わる新たなハイテク移民として 先輩方の後を拝することはできないかと 志を新たにする良い機会となった。

この式典については、南日本新聞の記事にもなっているので、是非お読みください。

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2006年1月 4日

Jay先生のシリコンバレーオフィス訪問

久々に鹿児島大学関係の話。 お正月ということで、鹿児島大学のシリコンバレーオフィスに 日本からのゲストが来られた。

来られたのは ジェイ スミス(Jay Smith)先生といって、 現在、鹿児島大学でベンチャー・ビジネスについての 教鞭をとっておられるアメリカ人の先生。 鹿児島大学のオープニング・セレモニーに参加された方は、 司会を務めたあの陽気なアメリカ人、 と言えば「あーっ、あの人」と思い出される方もおありでしょう。

Jay先生は以前、サンフランシスコに在住されており、 今回は一種の里帰り。 開所式の際は、いろいろあって結局Jay先生は ピクセラ社に来ることが出来なかったので、 今日が初めての訪問となった。

Jay先生を見送った後、 井手さんとロスガトス(Los Gatos)の散策へ出かけることになった。 井手さんは、今月末に行われる鹿児島移民50周年記念式典の 記念パンフレットの原稿を執筆されており、このロスガトス散策はその取材である。 私自身、近くに住んでいても、ロスガトスの豪邸街を散策したのは初めてで ある意味勉強になった。

なぜ、鹿児島移民とロスガトスが関係するか、というと、 おっと、これを書き始めると長くなるので、 別の機会にさせていただく。

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2005年12月 3日

【教訓】 お花の交換

今回の鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー の反省シリーズ。 オープニング・セレモニーの式典中のエピソードからひとつ。

式典では、スピーチをいただくご来賓の方々には、 胸に赤いお花を付けていただくことになっていた。 ということで、もちろん稲盛名誉会長の胸元にもお花を付けいただいていた。

ところが、井手シリコンバレーオフィス所長 と 稲盛名誉会長の対談が始まる際、 壇上に上がられてご挨拶をされた稲盛名誉会長の胸元から、その赤いお花が落ちてしまった。 その光景を私も見ていたのだが、どうすることも出来ずにそのままにしていた。

しかし、この事に関して、会場の他の方からもご指摘を受けた。 こういう場合、裏方の責任者である私がなんとかしないといけないのであろうけれど、 一般常識のない私としては、ハッキリ言って、どうしてよいかわからなかった。

私が壇上に上って、お花を拾って、稲盛名誉会長の胸にお付けするべきか、 とも思ったが、こんなおじさんが壇上に上ってもなんなので、 ツアー参加中の博士課程の女子学生にお願いすることにした。

それから、その女子学生とステージの袖に行って、 タイミングを見計らっているとき、彼女からご指摘を受けた。 「落ちているお花を拾って、それを稲盛名誉会長の胸にお付けするんですか? それって、失礼にあたりませんか?」 言われてみれば、確かにその通りである。 そんなことにも気づかない自分が恥ずかしくなった。

そこで急いで、受付まで行って、新しい赤いお花を調達してきた。 そして、壇上に上ったら、まず新しい赤いお花を稲盛名誉会長の胸にお付けし、 それから、落ちていた花を拾ってから戻って来る、という段取りを 彼女と確認した。この段取りに彼女も納得してくれて、 こちらの予想どおり、この大役をみごとに果たしてくれた。 ご苦労さまでした。

この年になっても、周りの方々からや 若い学生さんからも、 いろいろと教えていただくばかりである。

【教訓】
一度 落ちてしまったものを来賓に差し出すようなことをしてはいけない。

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2005年11月 5日

【教訓】 電池交換

今回の鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニーの反省シリーズ。

オープニング・セレモニーの際は、私は音響係を担当していたので そのことに関する小さな反省点について。

井手シリコンバレーオフィス所長 と 稲盛名誉会長の対談の際、 井手所長にはワイアレスマイクを使っていただいていた。 会場の後ろから聞いているとどうしても時々入るノイズが気になった。 そう言えば、このワイアレスマイク、 最近、電池を交換していないことを完全に忘れてしまっていた。

【教訓】
大きなイベントの前には、ワイヤレス・マイクの電池を新しいものと交換しておくこと。

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2005年10月31日

石原田先生の帰国

長らく、お伝えしてきた 「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」並びに 「鹿児島大学シリコンバレー研修ツアー」シリーズも実質的には この日が最後である。 鹿児島大学関係者のなかでは、 最も始めに来て、最後に帰ってゆく石原田先生の帰国の日である。 とは言っても、まだまだ後処理というか残務がたくさん残っているのだが。

この日は、石原田先生に敬意を表して サンフランシスコ空港(SFO)までお見送りすることにしていた。 ホテルで帰国の準備を終えた後、 石原田先生のレンタカーを返却しようとして 一緒にレンタカー屋さんに行ってはみるが事務所に誰もいない。 結局、そこで20分ぐらい待つハメになった。

【教訓】
空港などには大きな事務所があるので問題ないが、 有名なレンタカー・チェーン店であっても 街中のレンタカー事務所は、係員がひとりしかいないところもあったりする。 その一人しかいない係員が離席していることもありうるので、 何事も時間に余裕をもっていくことが重要。

SFOに向かう車の中で、石原田先生とはいろんなことを話したが、 今回の彼の功績を私は「要石(かなめいし)」と表現した。 「要石」とは、アーチ形の石橋の丁度真中、つまり頂上にある石で それがないと橋全体が崩れてしまう石のこと。 今回のイベント準備でも 鹿児島大学本学側とシリコンバレー側の間に立ち いろいろと調整してくれたのは彼だった。 彼がいなかったら、 これだけ大きなイベントを成功させることは出来なかったであろう。 (チョット誉め過ぎかな? でも事実だからしょうがない)

じゃ、帰ったら、Skypeでもしながら次の企画でも考えようか。

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2005年10月30日

モス・ビーチ(Moss Beach)

鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニーや シリコンバレーツアー等のビッグ・イベントの 後処理も一段落したし、日曜日ということもあり、 この日は慰安の意味合いも兼ねて内輪で海へ行くことになった。 と言っても、 上記のイベントの準備や、ツアー中の食事を作っていただいたりと、 いろいろとお世話になった久保由美さんが 浜にお魚を買いに行くというのに 便乗させていただいただけなのだが。 ということで、結局この日も由美さんのお世話になってしまう。

ハロウィンの前日と言うこともあり、 海へと向かう92号線(Half Moon Bay Rd.)沿いには 毎年恒例のかぼちゃ広場があちらこちらに見て取れた。 立ち寄ったのは、ハーフ・ムーン・ベイから 1号線をチョット北に上がった モス・ビーチ(Moss Beach) というところ。 この海岸は、潮の干満の間に 海草・かに・海綿・イソギンチャク・ヒトデ・軟体動物 等の 貴重な生態系が存在しているということで、 James V. Fitzgerald Marine Reserve という名称で保護区になっている。 そのため、いかなる生物も観察するだけで、 捕獲することはできない。

それから、お隣の漁港に場所を移動してから、 本来の目的のお魚の調達。 私は、あまりお魚系に強くないのだが、 石原田先生は釣り好きなので、あとは彼にお任せ。 由美さんとの協議の結果、 マグロを一本買うことに決めたようだった。 さすが、釣り好きの石原田先生と食通の由美さん。 私は、ただただ、彼らの言うことにうなづいているばかりだった。

この日の様子は既に、 久保由美さんのブログ にもあるので、そちらも是非どうぞ。

カテゴリー: 観光・旅行 , 鹿児島大学シリコンバレーオフィス     22:05 | コメント (0) | トラックバック (0)

2005年10月29日

稲盛京セラ名誉会長との夕食会

鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー の前日、10月23日、稲盛京セラ名誉会長との夕食会が クーパティーノの日本食レストラン「あづま」で行われた。

この会が「あづま」で行われたのには理由があった。 今から約40年ほど前、京セラがシリコンバレーに進出してきた当時、 この近辺でまともな日本食レストランはここ「あづま」しかなく、 稲盛会長もシリコンバレーに滞在されていた際には、 よくここに来られていたそうである。 そんな背景から、稲盛会長のたってのご希望で ここ「あづま」で開催する運びとなった。

この夕食会は、シリコンバレーで頑張っている日本人ベンチャー起業家の方々に お集まりいただき、稲盛京セラ名誉会長とご懇親いただく、というのが目的である。 鹿児島大学からも学長・副学長、並びに、鹿児島県副知事らもご同席され、 私も参加させていただいた。

ご参加された起業家約10名の方々も錚々たる方々であった。 その中のお一人、B-Bridge社の桝本社長のブログ でも既にそのときの様子が綴られているのでご参照いただきたい。

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2005年10月28日

ツアー参加学生からの寄せ書き

ツアーの最終日、参加された学生と研修職員の皆さんから、 寄せ書きをいただいた。 この場を借りて、お礼申し上げたい。 心のこもったメッセージ、本当にありがとうございました。 一生の記念に取っておきます。

また、スケジュール上、学生達と最後に会うことができなかった 久保由美さんへの寄せ書きも私がお預かりすることになった。

実は、この2通の寄せ書きの差出人欄が面白い。 私への寄せ書きには、「From brothers and sisters」とあった。 ということは、私は、学生達と兄弟ということになる。 こんなおじさんを兄弟扱いしてくれるとはありがたいことである。 一方、久保由美さんへの寄せ書きには 「FROM BIG CHILDREN」となっていた。 これによると、久保さんが学生達の お母さん ということになる。 そして私がその学生達と兄弟ということは、 由美さんは 私のお母さん でもあるということになる。

このエピソードについては、実は、 久保由美さんのブログ「自閉症児 渡の宝箱」 にも掲載されているので、そちらもどうぞ。

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2005年10月27日

鹿児島大学シリコンバレーツアー 「最終日」

泣いても笑ってもこの日がツアー最終日。 この日は基本的にHP社の見学である。

先ず、パロアルト(Palo Alto)の本社ビルへと向かい、 そこで、ヒューレット・パッカード(Hewlett-Packard)社の変遷や ビジネス内容についてのプレゼンをしていただいた。 プレゼンを聞いていると、そこで、結構居眠りしている学生が目立った。 話しによると、昨晩もホテルに帰ってきたのが夜中過ぎだったにも関わらず、 その後も いわゆる「飲ん方(のんかた)」(鹿児島特有の表現です)が 始まってしまい、学生達は今朝までほとんど寝てなかったとのことであった。 彼らにとってみたら「寝るのがモッタイナイ」ということだった。 学生さん達がこう思ってくれるのも、ある意味で言うと このツアーの成果なのかもしれない。

その後、建物を移動して HP社の創立者である HewlettさんとPackardさんの執務室見学。 ここは私にとっては、JTPAの「RFIDセミナー」 でお邪魔して以来2回目となった。 そこでは、前日のJTPAのパネルディスカッションでもお世話になった 湯浅さんにご案内いただいた。 それから、 クーパチーノ(Cupertino)の HP Executive Briefing Center へと移動した後、 ショールームや社内見学をさせていただき、HPでの視察を終えた。

HPからホテルに戻るとそこでこのシリコンバレーツアーは解散である。 この時点で私から学生達へ提供するカリキュラムは全て終了した。 後は、サンフランシスコ空港からの深夜便に搭乗するまでの間は自由行動。 サンフランシスコに向かう者あり、 スタンフォード大学に再度向かう者あり、 シリコンバレーでの最後のひと時を思い思いに満喫してくれたことであろう。

今回の鹿児島大学シリコンバレーツアーは、 オープニング・セレモニーとの同時開催という 最初で最後の特殊な事情の下に行われたが、 大きなトラブルもなく無事に終えられたことが何よりであった。 これもたくさんの方々のご協力により実現できたことである。 改めてご協力していただいた関係者の方々に御礼を申し上げさせていただきたい。 本当にありがとうございました。

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2005年10月26日

鹿児島大学シリコンバレーツアー 「シリコンバレー視察パート2」

以前のブログ「シリコンバレー 一望の丘」でもご紹介したとおり、 この日は早朝から、この丘にみんなで登った。 あいにく、天気が曇りがちというか小雨模様であったが、 そのお蔭で虹が見えたりもした。

この時、ひとつのアクシデントがあった。 みんなで下山して車のところまで戻ったところ、 学生の一人が、デジカメがない、と言い出した。 どうも元気のいい彼らは山野を走り回っている間に、 カメラを落としてしまったらしい。 すると、みんなで探してくると言って、 仲間5、6人が今降りてきた山道を再び一目散に駆け登っていった。

実を言うとこの日は、昨日以上にスケジュールを詰め込んでいたので、 私はその後のスケジュールの割り振りで頭が一杯だった。 よっぽど、「どうせ見つかりっこないんだから、探しに行くのはあきらめて、 早く出発するヨ」と言おうかとも思った。 ツアーコンダクター兼タイムキーパー役の悲しい性(サガ)である。 それにしても、彼らは学部や学科が違っていて、 このツアーに参加する前までは面識もなかったハズなのに、 この団結力はすばらしい。 結局彼らの熱意に負けて探しに行かせてしまった。

しばらく待っていると、みんな万面の笑みを浮かべながら山道を駆け下りてきた。 カメラが見つかったとのことであった。 困難をみんなで乗り越えるチームワークの賜物である。 自分は内心、「あんなこと言わなくて良かった」とホットしたのと同時に あんなことを考えた自分が恥ずかしくなった。

さて、それから、遅れを取り戻すべく次の訪問地アップル(Apple)へ。 アップルは社内に入るのが非常に困難なので アップル・ストア(AppleStore)でその雰囲気を感じてもらった後、 Yahooへ。 Yahooでは私の知り合いに頼み込んで社員食堂で食事をさせてもらった。

それから、以前のブログでもご紹介した モフェット博物館(Moffet Field Museum)NASA Ames Research Centerインテル博物館 (Intel Museum) と、急ぎ早に博物館めぐりをした。 学生の皆さんはインテル博物館をもっとゆっくり見たかったようだった。 次回のスケジューリングの参考にさせていただこう。

博物館巡りの後は、 バイオ系ベンチャー企業 B-Bridge社に訪問させていただき、 桝本社長 のセミナーとB-Bridge社内の見学。 続いて昨日と同じ法律事務所に移動後、 第1回目のツアーでもご講演いただいた ベンチャーアクセス の安藤茂彌氏によるセミナー。 夕食の後、JTPAスタッフによるパネルディスカッションとなった。 このパネルディスカッション、議論があまりにも白熱しすぎて 3時間にも及んでしまい、結局、ホテルに帰りついたのは午前0時をまわっていた。 この日も長い一日であった。

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2005年10月25日

鹿児島大学シリコンバレーツアー 「スタンフォードの視察パート2」

この日からは、学生と研修生のみのツアーの始まりである。 この日の訪問先は標題のとおり、ほぼ終日スタンフォード大学で過ごすことになる。 スタンフォード大学に関しては、すでに日曜日に一度訪れているので、 今日は表からは見えないスタンフォード大学のもっと核心にせまるカリキュラムをこなすことになる。

午前中は研究室の見学。 学生の専門分野によりバイオ系と工学系とに分かれての見学となった。 私は、前回の第1回ツアーの際にバイオ系のグループを引率をしたので、 今回は工学系の方に付いていった。

午後はキャンパスをみんなで歩いて見学する予定にしていたのだが、 学生の皆さんと話してみると、 日曜日と 昨日の自由行動時間とに スタンフォードに来た学生もいて、 人により既に見学したところと、見学していないところがあるとのことであった。 そこでみんなで話し合った結果、急遽、次のカリキュラム「国際交流会」までは自由行動とした。

引き続いての「国際交流会」とは、スタンフォード大学の学生さんと 鹿児島大学の学生が直接交流するのが目的の会。 ただし、鹿児島大学の参加学生全員が英語が流暢なわけではないので、 今回はスタンフォードで日本語クラスを受けている学生さんとの 交流会である。

これに関しては、鹿児島大学の学生は 相当に気合が入っていて、 参加者個人の自己紹介と鹿児島大学紹介の英語プレゼンを パワーポイントで作ってきていた。 そして、発表も英語で挑戦。 また、スタンフォード大学の学生さんの方も スタンフォード大学紹介をパワーポイントで準備されており、 日本語で発表していただいた。 皆さん、大変、日本語がお上手であった。

双方からのプレゼンが終わってからも 鹿児島からのお土産として、知覧茶 と かるかん、 先方からはアメリカならではポテトチップやクッキー、ケーキや コーラをふるまっていただき、 非常に打解けた雰囲気で 英語と日本語を織り交ぜての歓談のひと時となった。

今日最後は、場所を弁護士事務所に移し、 JBCオーガナイザーの方々によるパネル・ディスカッションである。 はじめに、八木博氏 にご講演いただいた。 それから夕食を挟んで、 赤間さん小柳さん ら4名の方に加え 八木さんにもご参加いただき、 総勢5名による豪華パネル・ディスカッションとなった。 前回の第1回のツアーでも JBCオーガナイザーよるパネル・ディスカッションは 最も好評だっただけに、今回参加した学生諸君にも十分に満足していただけたと思う。

結局、ホテルに帰り着いたのは夜の10時を過ぎていた。 さて、明日は早朝から山登りだ。

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2005年10月24日

鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー

過去数ヶ月に渡り、準備してきた 「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」も とうとう、その当日を迎えることになった。

この日のスケジュールや式典の内容に関しては、 既に、 鹿児島大学シリコンバレーオフィスのホームページ にアップされており、 それをここでおさらいしても面白くないので、 このブログでは、私は裏方として何をやっていたのか、 ということにフォーカスしてみよう。

朝、私がホテルに到着した際には、 会場の椅子の配置等の設営は既に終わっており、 スポットライトのセッティング中であった。 受付業務等は、鹿児島からの大学職員の方々に引き継いであったので、 この日の準備での私の担当は音響関連のセットアップである。 そのためにはまず、秘密基地( 「石原田先生の来硅 」参照)から音響機材を搬入する必要があったのだが、 他の細々とした問題解決のために、 なかなか機材搬入作業に取り掛かれない。 予定では、ツアー参加の学生の皆さんは、 機材搬入を手伝った後は自由行動となっていたハズだが、 時間を取らせてしまって申し訳なかった。

それから次のトラブル。 時間と手間を軽減するために、 スピーカーはホテル会場に備え付けのものを 使わせていただく予定であったのだが、 実際にミキサーを繋いでみると、ハム(ブーンという雑音のこと)が 乗ってしまい使い物にならない。 他のホテルでは、この方法でうまくいったことがあったのだが、 どうもこの会場とは相性がよくないようだ。 係員に状況を説明して、対応策を検討してもらうことにした。 しかし、解決できるとは限らないので、 急遽、バックアップとして借りてきていたJBLのスピーカーを 接続することにした。 実は、これもバックアップということで事前にはテストしておらず、 ブッツケ本番。 救いとしては、マニュアルだけはインターネットからダウンロードして ひととおり目を通しておいたので、接続に迷うことはなかった。 試してみると、さすがJBL。結構まともな音がでてくれたので助かった。 そうこうしていると、ホテルの係員がコンバータを貸してくれたので、 それを使ってみると、会場のスピーカーからもハムなく音がでるようになった。 結果として、会場のスピーカーと、JBLのフロアースピーカーの タンデム走行ということで、音に厚みが出て、 「怪我の功名」といったところ。

どうにかマイクの音を出せるようになったところで、 次の課題はミキサーからの音声出力を20m先まで引っ張ること。 過去のブログ 「テレビ会議 実験」でもお伝えしたとおり、 この式典の様子は、鹿児島大学とKDDI本社に向けてインターネット経由で 放送されることになっていた。 そのため、出来るだけクリアな音声をお届けするために、 マイクから直接の(ミキサーから直接の、と言った方が正確ですが) 音声信号を放送用PCに入れてやる必要があった。 さらに、カメラの画像信号を、会場前方のプロジェクターまで配信する必要もあった。 これだけの配線を、手元に残ったケーブルとコネクターをパズルして繋ぐ必要があった。 いろいろ試してみて、音声信号の方は、あまった延長用マイクケーブルを継いで、 両端に変換コネクターをかませてどうにかつながった。 画像の方は、低周波用のマイクケーブルで画像(コンポジット)信号を20m以上引っ張りまわして まともな画像が出るかどうか心配であったが、 音声信号と同様にマイクケーブルを代用してみたが、 思いのほか画質の劣化は感じられなかった。 これらのセットアップを終わってみれば、式典開始前ギリギリセーフであった。

実際に式典が始まると、その進行に関しては私は関与する必要はほとんどない。 状況により、ミキサーのレベルを調整するのと、 休憩時間に音楽をかけるぐらいである。 一方、別の仕事として受付での来場者への対応と パーティー会場の準備状況の確認が必要となった。 特に、受付業務では、現地担当者の私から、 実際に受付業務を行う大学職員の方々への情報の引継ぎに不手際があり、 来訪者、ならびに職員の方々へご迷惑をおかけする結果となった。 この件に関しては反省すべき点が多々あったと思っている。 結局、式典中は、会場と受付、並びに、パーティー会場を何度も往復するばかりで、 実のところ式典の内容はほとんど聞けていない。

それから心配していたもうひとつの点が、 レセプション・パーティーに移る際に 混乱をきたさないか、ということだった。 実際の会場に居られなかった方のために少し説明させていただくと、 カバナホテルの大広間は3つに分割することができるのだが、 式典はそのうちの前方2つの部分を利用して行っていた。 そして、残りは3分の1の部分は、 間仕切りで遮蔽してパーティー会場としての準備をしておき、 パーティー開始の際に、その間仕切りを取り外し、 お客様にパーティー会場への移動していただく予定としていた。 さすがに300人を超える方々が一斉に移動することになったので、 多少の混雑はしたが、無事にパーティーをはじめることもできた。

最後に、今回の式典では、 実に多くの方々に、いろいろな形でご協力いただいたお蔭で 盛況のうちに無事終えることができました。 お世話になった皆様、本当にありがとうございました。

さて、明日からは、シリコンバレーツアーに集中することになる。

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2005年10月23日

シリコンバレー バス・ツアーの日

「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」並びに 「鹿児島大学シリコンバレー研修ツアー」の第2日目。

この日は 鹿児島大学教職員と鹿児島県副知事ら関係者の方々、並びに、研修生を含めた 総勢約40名で大型観光バスに乗り込んでのシリコンバレー バス・ツアーの日である。

バスはまず、ロスガトス(Los Gatos)にあるピクセラ社へ向かった。 そこで、ピクセラ社社長でもあり、鹿児島大学シリコンバレーオフィス所長でもある 井手さんから、ピクセラ社創業の経緯や今後のビジネス展開についてのお話しがあった。 引き続いて、鹿児島大学シリコンバレーオフィス上掲式 を行い、 最後にオフィス内を見学してからピクセラ社を後にした。

それから私がバスガイドをしながらのシリコンバレー周遊ツアー。 アップル(Apple)、アドビ(Adobe)、サンノゼ空港(SJC)、イーベイ(eBay) インテル(Intel) 等を車窓から見ていただいた。 しかし実を言うと、日曜日ということで、確かに道は空いていたが、 大型バスでの移動は思いのほか時間がかかってしまい、 予定の場所を全てまわりきれなかった。 自分の時間の読みがちょっと甘かったことを 申し訳なく思う。

バスはそれから、スタンフォード ショッピング センター (Stanford Shopping Center) へと向かい、そこで自由時間とし、昼食を各自とっていただいた。 この日は、お蔭様で天気も良く、屋根のない スタンフォード ショッピング センター では、カリフォルニアの青空も楽しんでいただけたのがよかった。

さて、午後はスタンフォード大学の見学である。 まず初めに、バイオ研究の拠点 クラーク・センターで スタンフォード関連の方々からご講演をいただくことになっていた。 講演は、スタンフォードの産学官連携コーディネーターである 金松洋子さんのお話しから始まった。 続いて、医学部の 西村俊彦 先生のお話し。 ちなみに、西村先生は、鹿児島の串木野のご出身であり、 途中、鹿児島弁を交えてのご講演となった。 最後に、同じく医学部の John Fahl 先生にご講演いただいた。

その後、クラーク・センターを後にして、 メイン・クワッド、教会 等 を散策しながら スタンフォード・ブックストアへと向かった。 時間が予定より押してしまっていたので、 ゆっくり見物していただけなかったのが少し残念であった。

さて、明日は 「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」 当日である。

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2005年10月20日

ピクセラ社(鹿児島大学シリコンバレー事務所)での最終準備

現在、鹿児島大学シリコンバレーオフィスの事務所として 井手さんが社長をされている ピクセラ(Pixera) 社の一角を利用させていただいている。 ピクセラ社はロスガトス(Los Gatos)にあり、 85号線をウィンチェスター(Winchester Blvd)で降りてすぐのところである。

今度の10月23日(日曜日)に、 鹿児島からの大学教職員や県の関係者の方々に このピクセラ社まで起こしいただき、 上掲式を行う予定になっている。 今日は、その上掲式の準備と、 今後の オープニング・セレモニー や 研修ツアー に関する準備や最終打ち合わせを行った。

上掲式の準備として、 「Kagoshima University Venture Business Laboratory, Silicon Valley Office」 と書かれた一種の看板のようなものと、それを掛けられるフックを用意し、 当日は永田学長にこれを掛けていただこう、という計画である。 その他、開所式で配る資料やお土産の品の準備などを行った。

学長を始めとした鹿児島大学教職員、 鹿児島県副知事ら関係者の方々、 研修ツアー参加学生、 総勢40名の到着まであと2日。

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2005年10月19日

石原田先生の来硅

大詰めの段階に入ってきました「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」の準備シリーズ。

鹿児島大学からの第一陣として、 実質の総指揮官 石原田先生がサンフランシスコ空港へ到着した。 私は空港までお出迎えに向かった。 当初の予定では、研修ツアーの学生達の道のりを下見するために、 ミルブレー(Millbrae)駅に車を停めて バート(BART)で サンフランシスコ空港へ向かうことを予定していた。 しかし、普段なら渋滞のない280号線もこの日はあいにく事故が起きており、 予想をはるかに上回る移動時間を食ってしまった。 そこで急遽、予定を変更して直接サンフランシスコ空港へと向かうことにした。

到着便はUA-830。NGO、つまり 中部国際空港(セントレア)からの便である。 ANAとのコードシェアであるこの便を利用すると 鹿児島空港でANAに荷物を預けたままでサンフランシスコ空港まで手ぶらでOK。 羽田・成田 経由と比べるとずいぶん楽になったと言っていた。

SFOからホテルへ向かう途中、 今度の23日(日曜日)に、ご関係者一行をお連れする計画になっているため、途中、 スタンフォード・ショッピング・センターによってバスの駐停車位置等を下見してきた。

ホテル到着後チェックイン。場所は開所式会場ホテルのお向かいのモーテル。 部屋は103号室。 部屋に入るとすぐに、 石原田先生が鹿児島から持ってきた分、並びに、私がこちらで準備していた分の 機材や資料を一気に部屋にスタンバイした。 子供の頃の幼稚な表現だが、この103号室は いわゆる「秘密基地」と化してしまった。

その後、オープニング・セレモニー会場となる クラウンプラザ カバナ パロアルト ホテル、 鹿児島大学教職員関係者が泊まる別のホテル等を一緒に下見した後、 石原田先生用のレンタカーを借りに行った。

こうやって、今回の 「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」+ 「第2回 鹿児島大学シリコンバレー研修ツアー」のプロジェクトが実際に動き出してしまった。

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2005年10月18日

焼酎での乾杯

今回も「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」の準備シリーズ。

鹿児島大学のイベントということで、 レセプション・パーティーで焼酎をどうするか、という問題がでた。

当初、ホテル側と交渉した際には、持ち込み料さえ払えば 焼酎の持込は可能である、とのことだった。 ちなみに ホテルやレストランへ 飲み物を持ち込む際の 持ち込み料、栓抜き料 のことを 英語で「コーケッジ(corkage)」と言う。 この言葉は、ワインなどの栓に使われている 「コルク(cork)」からきている。

しかし、よくよく調べてもらうと、このホテルでは アルコール度数の高いハード・リカー(Hard Liquor)の持込が出来ない、ということになった。

いろいろ調査してみた結果、アメリカの法律では、アルコール度 25度以上の物を ハード・リカーとみなしているようだ。 そして、酒類取り扱いライセンスの中にも幾つかのランクがあり、 このハード・リカーを取り扱えるライセンスと、そうでないライセンスがあるらしいことが判った。 通常 市販されている焼酎のアルコール度数は25度以上となるので、 アメリカではハード・リカーと分類され、それなりのライセンスを持っているところでなければ 取り扱えないことになってしまい、販路が限られてしまうことになる。

このようなアメリカ市場の特殊性に対応するため、 先進的な焼酎酒造元は、アルコール度24度の焼酎を開発し アメリカ市場で販売していることが判明した。正に企業努力である。 この24度の焼酎の持ち込みでホテル側からも了解が得られた。

ということで、紆余曲折はあったが、開所式のレセプション・パーティーの始めに 24度の薩摩白波で乾杯することになった。 みなさん、お楽しみに。

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2005年10月17日

テレビ会議 実験

相変わらず「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」の準備シリーズ。

鹿児島大学のVBL(ベンチャー ビジネス ラボラトリー)では、 Eラーニングについて研究プロジェクトの一環として、KDDIと共同で、テレビ会議システムについての研究を行っている。 今回のオープニング・セレモニーでは、この技術を駆使し、 式典や KDDIの最高顧問でもある稲盛会長のご講演の様子を 鹿児島大学とKDDI本社へ向けて3次元接続により配信する計画となっている。 これを行うに際し、是非とも事前の実験がしたいということで、 この日、ホテル側にお願いをして実験をさせていただいた。

会場となるカバナホテルのITマネージャーの話しによると、このホテルは 光ファイバーで300Mbpsのインターネット接続を有しているとのことである。 そこで、グローバルアドレスをいただき接続実験をしてみた。 実験の結果としては、画像・音声共に問題なく配信できた。

開所式当日は、専用のカメラからの画像と、会場用マイクからの音声を このシステムの入力として利用する計画としている。 開所式はシリコンバレー時間の月曜午後に行われるので、 鹿児島大学とKDDIとでは日本時間の火曜日の午前中に この式典の模様を見られるはずである。

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2005年10月16日

レセプション・パーティーのメニュー

「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」の準備シリーズ。

開所式まであと1週間というところで、 レセプション・パーティーでお出しするメニューがやっと決まった。 正確に言うと、決めてもらった、と言った方が正しい。

開所式を準備するにあたり、段取りしなければならない事項は数あれど、 食べ物関係に疎い私にとっては、このメニューを決めると言うのが 最も大変な仕事である。 そこで、苦しいときの由美ちゃん頼みということで、 シリコンバレーでは有名な「ボランティアの母」じゃなかった 「ボランティアのお姉様(今日だけはお姉様にしておこう 笑)」 久保由美さん にお手伝いしていただいた。

お客様へお出しするメニューを決めるにあたっての条件として、 予算が決まっていること、 立食形式であること、 参加人数が正確には予測不可能なこと、 日本人とアメリカ人が混じっていること、 等等を考慮に入れてもらった上で、 ホテル側からのメニュー一覧の全ての項目に目を通してもらい その中から、裏ワザを駆使して チョイスしてもらった。

決まったメニューの一部をここでご紹介させていただくと、
  • Flat bread Station
  • Smoked Seafood Station
  • Assorted Finger Sandwiches
  • Roast Beef Carving Station
  • Honey Glazed Ham Carving Station
  • 2 Choice of Pasta Buffet
  • Mini Dessert Platter
  • House Salad
といったところ。さて、皆様のお口に合いますことやら。

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2005年10月15日

鹿児島県人会

「鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニー」の準備シリーズ。 地方大学である鹿児島大学は、 オープニング・セレモニーを開催するにあたり、 鹿児島県人会にもご協力を仰ぐことになった。

鹿児島県人会に関しては、 「さつまグローバルネット」に詳しい。 特に海外の鹿児島県人会については、 「海外の鹿児島県人会の紹介」のページで一覧にまとめられている。 この表のアメリカの部分を見ていただくと、 その多くがカリフォルニアに集中しているのがお判りいただけると思う。

カリフォルニアの鹿児島県人会は来年創設50周年を迎えることになっており、 大々的な記念式典を企画しているとのことであった。 その打ち合わせがこの日、サンノゼのあるレストランで行われる と言うことだったので、 その席で少しだけお時間をいただき、 鹿児島大学シリコンバレーオフィス オープニング・セレモニーに ついてご説明させていただいた。 開所式は平日の開催であるにも関わらず何人かの方には、 その場でご出席のご意志を表明していただいた。 本当にありがたいことである。

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2005年10月11日

鹿児島 出張セミナー

鹿児島大学シリコンバレーオフィスの活動の一環として、 「鹿児島大学シリコンバレー研修ツアー」を開催していることに関しては、 このブログでも何度も取り上げてきている。 この研修ツアーでは、鹿児島大学の学生さんに実際にこちらへ来てもらって、 シリコンバレーで第一線で活躍されている方々から直接お話しを伺う セミナーやパネル・ディスカッションを企画している。

最近は、この逆のパターンも行っている。 つまり、シリコンバレーで第一線で活躍されている方々に 直接、鹿児島大学までお越しいただき講演会やセミナーを行っていただく、 ということである。

具体的には、第1回鹿児島大学シリコンバレー研修ツアーで セミナー講師をしていただいた、村山尚武さんと上田嘉紀さんに この第2回ではツアー前セミナーということで、 鹿児島大学でご講演いただいた。

JTPAの共同代表でもある 村山尚武さんは、ご自分のブログ(Back in the USA) でもそれについて少し取り上げられている。

一方、上田嘉紀さんは、 第1回の研修ツアーの際には、 こちらシリコンバレーでセミナーを