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2006年12月 9日

鹿児島大学一行、サリナス視察

昨日に引き続き、永田学長をはじめ 鹿児島大学のご一行がシリコンバレー近辺を視察するということで 同行させていただいた。

午前中は、東北大学の米国事務所を訪問させていただき 意見交換をさせていただいた。 話された内容は多岐に渡ったが、 例えば、今、東北大学が力をいれておられるのが 卒業生からの協力を得る仕組み作りだそうだ。 確かに、アメリカの大学は 卒業生からの支援が活発である。

午後は、前回の 鹿児島大学シリコンバレーツアーでも 訪問させていただいたサリナス(Salinas)の 内田 慶四郎 さんの農場を見学に伺った。 たくさんのお話をしていただき、 帰りには雨の中にも関わらず、 サリナス中心部の 日系人墓地や アメリカ人墓地に飾ってある戦車 等についてもご案内いただいた。

ここでよい機会なので、内田 慶四郎 さんから教えていただいた サリナスのアメリカ人墓地に置いてある この戦車についての 謂われ を簡単に書いてみる。

サリナスは、第二次世界大戦以前より大規模な農業が盛んであった。 そのため、サリナスの農家の方々は皆、トラクター操作の名人であった。 第二次世界大戦が始まり、アメリカでも兵隊が足りなくなったので、 サリナスから人を招集し部隊を編成した。 そのほとんどは農民であった。 トラクター操作に長けていたサリナスの農民は、 戦車もトラクターと操作方法が似ているという理由から 戦車部隊としてフィリピンへと向かった。

そこでサリナスの農民らは日本軍と戦うことになったのだが その戦線では日本軍が勝利し、米軍が全滅してしまった。 ということはつまり、サリナスには 日本軍により身内を 殺された遺族が多数いる、というわけである。 そのため、戦後、サリナスでは非常に強い排日運動が起こった。

サリナスでは、戦後間もなく、日本人への憎しみを忘れないために、 わざわざフィリピンから 戦場に残されていた米軍戦車を持ってきて 街の中心部の公園に据えていた。 そして、その戦車の主砲は日本人居住地域に向けられていたそうである。

戦後のサリナスへの日系移民の方々は、 この様な排日運動の中で生きてこられた。 戦後30年が経ち、日系人の働きぶりや人柄が 他のサリナス市民に認められ、 その戦車はサリナス中央の公園からアメリカ人墓地に移されたそうである。

カテゴリー: 鹿児島大学シリコンバレーオフィス     2006年12月 9日 22:32

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